柾花音なのかもしれない。

猫の換毛期と戦っている

超絶ネガな私がファンを通じて愛することを学びつつある話


「こんな私でもいいか」と口に出すのに、20年ちょいもかかってしまった。

いや、口に出せたのはどう考えてもお酒のお陰だから、20年待ってた甲斐があったと言えるのかもしれない。

 

 

初めまして。

柾花音(まさき かのん)です。


今の事務所であるギャザリングに所属してから1年が経ちました。


今では後輩?(はれらいおん可愛すぎてガチで推せる)もでき、先日無事に告知盛りだくさんの2年目 (【柾花音】い~っぱい告知!【3D生配信】 - YouTube)を迎えたところ。

せっかくの節目なのでなにか書きたいと思いマネージャーに相談した結果、「強い部分でも弱い部分でも、ありのままに感じたことを書いたらいいんだよ」と言ってもらったので、ここ一年を振り返って、大のネガティブを拗らせた私の壮大な自分語りをしてみたいと思う。

最終的には明るい話でしかないんだけど、飽く迄も大ネガを拗らせた人の文章だし、暗い部分も通るので、気分が優れない方や引っ張られやすい方は閲覧を控えて欲しい。

 

 

 

さて、ギャザリングへの所属が正式に発表されたのは2020年4月4日。

今では随分馴染みの深い言葉になってしまった〈 緊急事態宣言 〉なるものがどうやら4月7日から発令されるらしい、と。

大多数の人が、初めての事態に何となく"ヤバさ"だけを感じながらも、実感すらわかずに未知のウイルスに怯えていた時期だった。

 


かくいう私も発表こそ難なく終えたものの、いざ宣言が発令されると、当然収録もそれ以外の仕事もできない。

収録や対面でのお仕事以外は殆どのことがリモートで済みそうな私ですら、あの時はえらい不便だと感じていたのだから、接客業の方や、システムを丸々変えなければならないお仕事の方はもっともっと大変だったのだと思う。

 


今ではあそこまでのロックダウンは無くなったが、1年前は主要な駅にも殆ど人がおらず、店は軒並みやっていない。そんな感じだった。はず。

もう記憶も曖昧だし、随分昔のことのように感じるのが不思議だ。

 


もちろん今でも警戒は続けているし、予防意識は大ありなので、気が緩んでいるってわけじゃないよ。

ここ1年が本当にボリューミー過ぎて。嬉しい方の忘れ方だと思いたい。

 

 

 

思うように動けない中、いつかこのおかしな自体が収束した時に何ができるのか。

それを宿題として考えてきて、会議でスタッフと出し合ってを繰り返す日々が続いたのをよく覚えている。

長電話になるだろうなぁ、といつもより多めに淹れたコーヒーが空になっても、時には毎日0時に設定してあるアラームが鳴り通話アプリが落ちても、話し合いは続いた。

 

 

 

 


今思えば、その頃から私は「やりたい事」ではなくて「できる事」を考えていたように思う。

 


もっと厳密に言えば、あの頃はこんな自分を応援してくれている人達になにかを返さなきゃと、何ができるのかと必死に探していた。

 


何度か話した事があるが、今の事務所から声をかけてもらう前、

年が明ける前の私は、年明けまでこの場にこうして立っている気はなかったのだ。

だから、「今応援し続けてくれている人達に、できる限りの気持ちを返していくぞー!」という心意気こそあれど、いざ"やりたい事"として聞かれると何をしたらいいのか分からなかった。

(とはいえスタミナがE+位しかない人間だったので、全然返されてる感ねーよクソがって人は本当にごめん。出来たら気持ちだけでも受け取って欲しい。)

 


あの頃は、こんな私を好きでいてくれてる人達が「これをやって欲しい」と言ってくれたことを、できる範囲で少しずつでも叶えられたらそれでよかったし、逆に、望まれているはずの事が出来ないのが苦しかった。

 


そういつも。

私は何もできないのに、できない私からみんなが一生懸命"個性"と言える何かを見出してくれているのだと。

それは歌うことだったし、配信で苦しい程笑うことだったし、ホラーが苦手なことだったし、早口オタクになることだった。他にも、私の個性と呼べる(?)色々な部分は私を見てくれている人から貰ったものだと感じていた。

 


そして、スタミナだけじゃなくスピードもE程しかない私がゆっくりそれを形にするのを、みんなはとても広い心でずっと待ってくれているのだと。そう思っていた。

(強いて言うなら表現することやお芝居は昔から好きだったけれど、「何かやりたい事ある?」という問いに対して「えっ…あ…と…ひょ、表現……?」っていう抽象的過ぎる返事をする勇気はなかった。)

 


だから、とにかく頑張ろう。私は周りの素敵な人達と違って特別出来ることなんて持っていないから。

面白い話も、難しい知識も、否が応でも聞いてしまうような特別な歌声もないから。

プロフィールの特技欄は1番最後に、なんとか無難なものを絞り出して書いてたでしょ。それが自分には何も無いことの1番の答えなんだよ。


こうやって私がうじうじしている間にも、才能のある人はその才能をもっと伸ばすべく努力している。

私はもっともっと頑張らなきゃ、差は開いていく一方だ。貰った分のお返しなんてとても出来なくなっちゃう。

でもそもそも何を頑張ったらいいんだろう。私は何も出来ないのに、何が出来るかも知らないのに。

頑張って頑張って、誠実に打ち込んで、きっとそれでもどうしようもないことだって世の中にはたくさんある。それは分かってる。

それでもあの頃は、いやこれは今もだけど、ただ自分の取り柄を、間違った方向を向いたまま探し続けていたのだ。

 

 

 

こんな話をするとキャラ崩壊だと思う人がいるかもしれないし、こんな私は解釈違いかもしれない。

今初めて自分のあまり好きではない部分をちゃんと人に話していて、正直震えてるし、なんでこんなこと喋ってるんだって混乱し過ぎておぎゃりそう。マジでパニック。今すぐママー😭って泣き出したい。

赤ちゃん帰り間近の、突風の中で綱渡りをしているくらいグラグラの精神を、「もう20歳になった」という命綱だかプライドだかでギリギリ耐えてる。吐きそう。

 


あっっっでも待って下さい!!!!

違うの、違うんです。ここから明るい話になっていくから安心して欲しいし、ここまで読んだなら帰らないで欲しい。

本当にここからなので、もう少しだけ付き合って下さい。

 

 

 

さっきの続き。

さて、とてもじゃないけど「安心しろ!幸せにするから俺についてこーい!」なんてカリスマ性のあることは言えないのに「これからも見守っててくれ」なんて言い続けてるんだから、わがままだなって思う。すごくタチが悪い。

 


でもさ、傍から見てたら分かると思うけど、これめちゃめちゃに負の無限ループなわけ。

この自信のなさからくる自問自答はマジで1番やっちゃいけなくて、これこそ腐ったみかんの方程式ってやつだ。放っておくと他のみかんもダメになってしまう。

 


まあ多分、そうやって20年間自分で自分のみかんをダメにし続けてた結果、出来上がった自己肯定感ゴミゴミモンスターがこの私。

なんだけど、ここ1年でそこから抜け出すヒントを、ファンの人達(と事務所の人達)から得たんじゃないかと私は思っているのだ。

 

 

 

きっかけは、引き出しから物を取り出す時に、ふと目についたファンレターだった。

「結構たくさん溜まったなぁ」と、本当にたまたま全ての手紙を読み返し始めて。

 


その時、私の中でなにかが、ぽっ…と浮いたような感じがしたのだ。

 


それが頑張らなきゃという責任感だったのか、頑張りきれていない自分への罪悪感だったのかは分からないし、

どうして初めて読んだ時ではなく、その時になってなにか別のものを感じたのかも分からない。(当然ファンレターが届いたらすぐに読んでいるし、最初に読む時だって口角取れるんじゃないかってくらいにやにやしながら読んでる。泣くこともある。)

まあ色々、確かに悩んではいたけれど、それは20年間ずっとついてきた悩みだったし。

 


でも確か、その日は低気圧かなにかで朝から体調が悪かった。

 


どんよりとした空気と頭痛に悩まされる中、重たい身体を起こして何かを取るために引き出しを開けたのだ。

それで、手紙を開いて。

少しはやる気もでるかなと、ほんの景気づけに何通か読もうかなー位の気持ちだった。

 


そんな軽い気持ちの、しかも2回目かへたするとそれ以上目かの開封だけど、いざ読み始めたら慎重に。

私のために一生懸命書いて届けてくれたであろう文字を、1文字も取りこぼさないようにゆっくりと目で追う。

手紙を読む時は心の中で相槌を打ちながら読むのが柾流だ。

 


うんうんと頷きながら読んで、優しい気持ちでいっぱいになる。

それと同時に私に向けてくれた、こんなに暖かいたくさんの言葉達に見合う存在でいられてるのだろうかと。やるせない気持ちでいっぱいになった。

私は自分の取り柄も分かってないのに、こんなに褒めてもらってもいいのだろうか。

私はまだ、みんなに何も返せてないのに。

 

 

 

いつもまかのんから貰ってばかりで、何も返せていないですが、

 

 

 

目を通して、あ、と。声が出た。

 


あれ、これ私が書いたっけ?いや違う、確かに私に向けて書かれたものだ。

 


びっくりして見返せば、結構な人が同じような事を書いてくれている。

いやなんでよって、なんで君たちが同じこと思ってるの、それは私のセリフだわ取っていくんじゃないよ。

 


もう頭の上をはてなマークとヒヨコが飛び交って、軽くパニックを起こしてた。

 


だってそんなこと君たちが思う必要なんてないのに。もう既にたくさん、色んなものを貰っているのに。

あれ、でも、もしかして、それってみんなも同じように思ってるってこと…?

 


不思議な感覚だった、ぽっ…ってなにかが浮いた。

すっきりとも違う。多分私がネガなのは性格的なものだから、このうじうじした気持ちとは一生お付き合いすることになるんだと思う。

けれど、本当にぽっ…って少しだけ、浮いた感じがしたのだ。

 


なんでこんなに気が付くのに時間がかかったんだろう。

 


「歌ってくれてありがとう」

「ステージに立ってくれてありがとう」

「話してくれてありがとう」

「お知らせしてくれてありがとう」

 

 

思ったことを、話す。感じたままに、歌う。たったそれだけ。

それだけしか出来ていなくても、端から、こんなにも優しい言葉で溢れていたのに。

これ以上ない気持ちを向けてもらっていたのに。

 


私は、私の個性と呼べるような部分は、全部私を見てくれている人から貰ったものだと感じていた。

それは確かにそうなのかもしれない。

 


それでも「みんなが好きだと言ってくれる所を詰め合わせた私」の事くらい、ちょっとくらいは愛してあげても良かったんじゃないだろうか。

才能とか努力とか特技とか、そんな難しい事を考えて泣かなくても、

本当は、自分がただ楽しんでいるだけで、周りにも楽しんで貰えていたのかもしれない。

 


だって本当にそうなのだ。

あとからこれでもかと反省するだけで、歌っている時も、芝居をしている時も、話している時も、ずっとずっと私は楽しくて仕方がなかったのだから。

 


さっきまでぎゅうぎゅうに頭を締め上げていたはずの痛みは、どこかに消えていた。

 

 

 

 


その日の夜。友達とお酒を飲みながら、自己肯定感だなんだの話をした。

 


「こんな私でもいいか」と口に出すのに、20年ちょいもかかってしまった。

いや、口にまで出せたのはどう考えてもお酒のお陰だから、20年待ってた甲斐があったと言えるのかもしれない。

 

 

 

吐いた言葉は自分の耳に返って来る。

母からそう聞いた。だから口からの言葉だけでも、せめて明るいものに。

 


どうしようもないネガな私の、明るい言葉は言霊だ。前向きな言葉も、どうかそうであって欲しいという言霊だ。

私が願いを込めて吐き続けてきた言霊たちが、手紙になって熱を持って返ってきてくれたような気がした。

時には立ち止まってしまう私の背中を押すものとして、時にはしゃがみ込んだ私を引っ張りあげるものとして、もらった言葉が新たな言霊になって、私をまた歩かせてくれるのだと思う。

 

 

 

君たちのおかげでちょっとだけ、自分の事を愛するコツを知ったこの1年。

これからも楽しいことを、みんなと共有していきたいのだ。

そして願わくば、今度は自分の「やりたいこと」を実現できるように。

 


まだまだネガな私だけど、どうか2年目もあたたかく見守っていてください。

 

 

柾 花音